要素還元主義は悪用される。JT(日本たばこ産業)を含む世界のタバコ会社は長年にわたり,タバコ喫煙と肺がんとの因果関係に関して「メカニズムがまだ証明されていない」と,因果関係を認めてこなかった。1990年代には,タバコに含まれている物質ベンツピレンが作用して,がん抑制遺伝子の157,248,273のコドンに変異が生じることが示された。更にこの変異は,人の肺がん遺伝子の通常位置でも発見された。それまでのタバコ会社の主張の路線を維持するなら,ここでタバコの発がん性を認めるのが筋だろう。
しかしここまで示しても,JTを含むタバコ会社の多くは主張を一向に変えないため,「メカニズムがまだ証明されていない」という要素還元主義やメカニズムへのこだわりが,単なる逃げ口上に過ぎないことも分かってきた。さらに,海外のタバコ会社はMutagenesisという国際的医学雑誌の編集委員と組んで,前述した研究を目立たない一意見に過ぎないと葬ろうとした。これがタバコ会社の内部文書の公開で明らかになり,Lancetという有名医学雑誌に発表された。因果関係を明らかにしてほしくないという強い気持ちが入ると,目に見えないゆえに強引な論理が押し通されてしまう。要素還元主義は,時間稼ぎにはもってこいである。その間に,「正常な使い方をして明瞭な害のある唯一の商品」(米CDC長官の発言)であるタバコを売りまくってしまえる。
津田敏秀 (2011). 医学と仮説:原因と結果の科学を考える 岩波書店 pp.52-53
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