生まれと育ちについての科学の定説は,私のこれまでの人生で,正反対の結論のあいだを大きく揺れ動いてきた。1950年代までアメリカの心理学で幅を利かせていた行動主義では,B.F.スキナーらの科学者は,新生児は白紙状態で誕生するので,環境がそれに刻印を押して彼らがどうなるかを決め,おもに報酬や強化を通して彼らを形作ると考えた。だが,1960年代には,そのような極端な環境決定論は勢いを失い始めた。そして,1970年代までには,ノーム・チョムスキーをはじめ,多くの言語学者と認知科学者が,私たちを人間たらしめているものの多くがあらかじめ組み込まれていることを証明して,このテーマについての考え方を一変させた。当初の闘いは,赤ん坊がどうやって言語を習得するかを巡って起こった。そして,赤ん坊が最終的に高地ドイツ語を話すようになるか,あるいは北京語を話すようになるかは,もちろん学習と社会環境次第であるものの,言語を可能にする,根底にある文法がおおむね生得的であることを,その争いの勝者は証明した。新生児が持って生まれた紙は,白紙にはほど遠く,情報がたっぷり書き込まれているのだ。
ウォルター・ミシェル 柴田裕之(訳) (2015). マシュマロ・テスト:成功する子・しない子 早川書房 pp.94-95
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