ちょうど攻撃性に関してウェディコで私たちが発見したのと同じように,状況が異なっても変わらない一貫性は,カールトンの学生たちの誠実さにもほとんどなかった。また,自分は首尾一貫しているという彼らの確信(じつは彼らの直観的な思い込み)は,多様な状況で彼らが見せた実際の一貫性の度合いとは無関係だった。教師との約束時間に一貫して遅れる学生が,試験の準備に関しては非常に誠実で,何週間も前から入念にやるという場合もあった。では,彼らの確信は何に基づいていたのだろう?あるいは,それは確信ではなく,首尾一貫しているというただの幻想だったのか?彼らの確信は,誠実さに関する各自の「イフ・ゼン」パターンと——とても強く——結びついていることがわかった。つまり,これらのパターンが長期にわたって繰り返されたり固定されていたりすればするほど,学生たちは自分がそれ以外の状況でも一貫して誠実だと感じた。彼らは,長期にわたって続き,予想可能な自分の「イフ・ゼン」の行動パターンを知っているために,自分は首尾一貫していると確信していたのだ。あるカールトン・カレッジの学生は,自分がたとえば授業時間や教授との約束の時間をつねにきちんと守るのを知っているから,大学における自分の誠実さは首尾一貫していると考えていた。もっとも彼は,自分の部屋やノートのとり方はいつも乱雑で,課題の提出は必ずと言っていいほど遅れることも知っていた。「イフ・ゼン」のパターンが長期にわたって変わらず一定しているから,人は特定の特性を首尾一貫して示すと考えるようになるのだ。一貫性に関する私たちの主観は,矛盾もしていないし幻想でもない。ただそれが,20世紀の大半を通じて研究者たちが探し求めてきた種類の一貫性でないだけだ。これを知っていると,他人が何をするのか,そしてまた,私たち自身が何をしそうかを予想したければ,どこに注目すればいいかわかるので役に立つ。
ウォルター・ミシェル 柴田裕之(訳) (2015). マシュマロ・テスト:成功する子・しない子 早川書房 pp.224-225
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