菌類を好む人が多い地域では,その土地に自生するキノコにさまざまな名前をつけてきた。その一方で,ウィリアム・ディライル・ヘイは次のように記している。
イギリス人の菌類観には理解しがたいところがある。驚くべきことに,ほとんどの菌類には,日常会話で言及するための個別の名前がつけられてこなかったのである。それらはすべて「トードストゥール toadstool」と呼ばれている[トードはヒキガエル,ストゥールは腰かけを意味する。トードには,いやなやつという意味もある]。
トードストゥールという単語がキノコの意味で最初に文献に出てくるのは,1398年にさかのぼる。フランシスコ会士のバルトロマエウス・アングリクスが書き残し,その死後に刊行された書物のなかで使われているのである。しかし,キノコに侮蔑的な呼び名がつけられてきたのは英語圏に限ったことではない。
フランス語では,キノコは「悪魔の卵」「悪魔の絵筆」「ヒキガエルの餌」などと呼ばれている。オランダ人はキノコをまとめて「パドストゥール paddestoel(ヒキガエルの腰かけ)」と呼ぶ。ノルウェー語の「パデハット paddehatt」やデンマーク語の「パデハット paddehat」(いずれも「ヒキガエルの帽子」の意)も似たような表現だ。こうした単語が,北ゲルマン語系の言語が話されている深い森を抜け出し,ケルト人のブリテン諸島への進出にともなって各地に広まるにつれて,キノコは魔術と関係をもつようになった。それによって,その後の何世紀にもわたるキノコの運命が決定づけられたのである。
シンシア・D・バーテルセン 関根光宏(訳) キノコの歴史 原書房 pp.17-18
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