客観性とは何かを,もし哲学に問うとすれば,もちろん何か一連の解答を得ることができると思うが,それを典拠としてあるテストの客観性の有無を判定することには役に立たないであろう。しかし私たちが客観性といっているのはもっと簡単なことであって,それは<誰が,いつ,どこで,どんな意図で実施しようと常に必ず,こうすれば,こうなる>という知識をいうのである。したがってそれは公共性ということに近いのであり,きめられた条件と手続きを遵守するかぎり誰でもいつでも何回でも反復しうる<技術>ないし技術的知識をいうのである。技術というのは,きめられた条件と手続きとを守るかぎり誰でもいつでも何回でも反復しうる操作でありそうした操作の知識である。そして技術というものは,こうすれば必ずいつもこうなるという操作,統制,支配の術なのである。客観性とはこうした技術というものの特性なのであり合理的科学的な支配や操作やの特性なのである。自然科学は要するに自然に対する技術であり自然に対する統御・支配のための技術学なのである。したがって実証ということも,記載された条件下で定められたやりかたで試行していつでも記載されたのと同じ結果がえられることの実証である。それであるから,すべて客観的知識は必ず技術となりうるはずであり,技術は理論的にいってすべて機械化されるはずである。たとえばコンビナートは技術の機械化であり,客観的知識の機械化である。
これが心理学のお手本であり,私たちの<客観性願望>である。それならば私たちは心理学研究者として,何を目的として,何を支配統制しようとしているのであろうか。この問いは,応用心理学,臨床心理学とテスト問題とを越えて,心理学,実験心理学に対して問われなければならない。
日本臨床心理学会(編) (1979). 心理テスト・その虚構と現実 現代書館 pp.149-150
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