上述の「科学性」の問題にかぎらず,Y-G検査の作成手続きが一定の方針に沿って行われていたとしても,そこでの「チェック」の基準が甘くなっているという点はいなめない。それと同時に,辻岡氏自身のパーソナリティ観が明確に打ち出されていないことは問題であると思われる。「パーソナリティ観」が不在ということはないであろうが,それが顕在化されていないがために,彼の「チェック」や「判断」がいたずらに恣意的で,ただギルフォードを模範としたテストを作れば良い,という印象を受けるのである。
以上の検討から,テスト作成者の「良心」や「科学性」についての判断の問題だけではなく,ひとたび公表されたテストは「実用」的である方向へと「社会」的要請に応えて必然的に向かわざるを得なくなるという事実が示唆されると思われる。
日本臨床心理学会(編) (1979). 心理テスト・その虚構と現実 現代書館 pp.217-218
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