第三共和制が確立していく中で,フランス国家は教育の公教育化を推し進めるのだが,その中心的考え方は,非宗教化,無償化,そして義務化であった。つまり,国家が教育を教会の支配,管理から解放する一方で,自らの支配管理へ移行させるのであるが,これは大多数の共和派,社会主義の共同の意志だったのである。1860年代後半,「無償教育こそ,労働階級解放の根本的な手段である」とする見解が勝利をおさめていくのであるが,1867年の国威発揚の為に開かれた万国博覧会へ,ナポレオン三世によって派遣された労働者代表が,その報告の中で「教育(この場合,共和制によっておしすすめられた公教育——筆者註)のみが我々に平等を与えてくれる」と語ったほどなのである。
この教育は,封建的身分や,財産,土地と関係なく,つまり彼の出身階層がなんであれ,受けられるとしたのだが,ここでは高等教育も無償であった。高等教育では,試験を受ける権利を平等に保障したのである。1880年の元老院では「試験こそがフランスの力を生み出す国民的統一と学問の自由の保持のために,国家に残される最後の唯一の手段である」とする発言がなされているが,こうして非宗教化,無償化,義務化の中で,教育の国家による支配・管理がうち進み選別の思想が貫徹していったのである。この中で,国民は各自の能力,業績(Mérites)に応じた役割と地位を与えられていくのだが,こうして第三共和制は教育の近代化を推進すると同時に,その中でメリトクラシイ社会(能力,業績に基づく階層社会)が確立していくのである。
日本臨床心理学会(編) (1979). 心理テスト・その虚構と現実 現代書館 pp.259-260
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