さて,ビネーは,精薄成人について「白痴は2歳以下,痴愚は7歳以下,魯鈍は10歳以下」という操作的定義を行っているのだが,これでは(成人以前の)精薄児の種類わけには不十分なはずである。そのためには,生活年齢と精神年齢との相対比が問題にならなくてはならない。ところが,ビネーは,この相対比をあらわす知能指数を思いついていない。これについては再論するが,ビネーは,その必要性を示唆することなく,「2年にあたる知能遅滞はどのばあいもひじょうに重大な遅滞兆候であると考えている」といい切っている。
ここでは,その事情について考えてみよう。彼の最初の関心は,正常児と異常児とを区別することであった。「小さなエルネスト」らのところで述べたように,特に,学力不振児の中の「精神薄弱児」を発見することだった。さらにいえば,文部省の要請もそこにあったのだが,「精神薄弱児」ではない学力不振児を間違って特殊学級に入れてしまわないようにすることだった。
つまり,同一生活年齢集団=同一学年集団であり,その集団は同様の知的レベルからなる集団であり,また,そうあるべきだ,という前提にたって,そこでの例外者(特に「精神薄弱」)を発見することが要請されたのである。この中で彼は,「1年にあたる知能遅滞」では「精神薄弱」と言い切れなかったが「2年にあたる知能遅滞はどの場合も」「精神薄弱」であるといってさしつかえないと考えた。
こうして「精神薄弱児」を排除することによって,その集団に対する教育課程,教育方法を統一することが出来,教育効果を最大限にすることができると考えたのである。繰り返せば「2年にあたる知能遅滞」児は「どの場合も」(つまり,いずれの年齢集団においても)当該の学年集団にまったくふさわしくないということで「精神薄弱児」とよばれ,それ故に普通学級から特殊学級などに排除されていったのである。
知能指数概念が思いつかないですんだ事情はここにあったといえよう。ついでだが,1908年に発表された知能測定尺度は,1905年尺度に比較して「年齢段階」をさらに明確化した。1908年尺度では3歳から13歳にわたって年齢毎の正確な目盛りをつけ,しかも,1905年尺度にあった「白痴」の水準を知る問題を削除した。さらに1911年に改訂された尺度では,15歳用,成人用が附加されたのである。ビネーの関心が「精神薄弱」とふつう児との区別ということに加えて「優良児」の選別,ランキングということにも移っていったことがわかる。
日本臨床心理学会(編) (1979). 心理テスト・その虚構と現実 現代書館 pp.265-266
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