戦後の教育は,「単線型」であってそのため,「東大」をヒエラルキーの頂点とする,学校における一元的な競争体系を生み出してきたのだが,この中で,勝った者と負けた者とに対応する社会的階層を再び固定させつつある。かくて知能の高い者は,「東大」に向かい,そこを出た者は,高い社会的経済的階層を構成するようになった。これをゆるがしつづけるのは,タテマエとして存在する教育の機会均等であり,具体的には受験競争に参加する機会均等である。「ゆるがされる」階級の危機と「ゆるがし切れない」階級の挫折(→アノミー)とによる,資本主義社会総体の危機意識が,今日,このあやしげなそして不気味な「新教育宣言」を生み出したと思われる。
これは,知能は遺伝,生物学的なものであり,知能が学歴を決める,そして学歴が社会的貢献度を決める,という荒筋になっているのだが,そこには,社会的,経済的階層は知能という遺伝・素質が決めるという主張がある。そして,この知能は知能テストによって測定されるというのである。こうして「人間万事所を得るというのは幸福への近道である」のだから「無理するな」と,低い知能の者に対し語っていくのである。
このような主張は,批判にさらされ出した知能テスト業界と作成者の単なる巻き返しにすぎないともいえようが,桜井氏の主張と照らし合わせて考えると,資本制社会におけるヒエラルキー的分業化の正当化に向けたイデオロギーであるとも考えられる。知能テスト(ないしそれ的考え方)は再び進化論的遺伝学イデオロギーをうちかためながら,早期選別,早期教育に加担したがっているのである。
日本臨床心理学会(編) (1979). 心理テスト・その虚構と現実 現代書館 pp.284-285
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