私は,はっきりと言い切りたい。教育に遅効性などないし,仮にそのような現象があったとしても,それを教員側が言い出すのは倫理違反だと。
生徒たちはかけがえのない,「今」を生きている。その「今」から「未来」を切り拓いていく人生設計をさせるのが教師である。来るともわからない,いつの日かの気付きに期待して「今」を構築することなど,ただの逃げ口上に過ぎない。
もっと生徒心理に寄って書けば,学生時代にまともな交流をしなかった・できなかった教員の言った言葉や指導内容を,卒業後に思い出すことなどない。教員の名前すら忘れてしまうことが当たり前なのに,教員が行った,茫洋として効果尺度も見えない教育実践を振り返る生徒がどれだけいるだろうか。
さらに,次の時代を創っていく若い世代に対して,学生時代という過去を振り返らせようとすること自体がおこがましい。社会人になってから自らの至らなさに気付くことは多いが,そうだとすると,高校卒業後たった10年以内に,中学・高校時代の“教え”を振り返れと言っていることになる。そんな後ろ向きな若者を育成したいのだろうか。
林 純次 (2015). 残念な教員:学校教育の失敗学 光文社 pp.87
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