感知する側が容貌と性格の相関関係を学習するのに多くの体験を必要とするとは思えないので,真の相関関係をみわける能力にはまた別の理由があるのではないかと思われる。利用できる多数の情報のなかからある相関関係をひきだす能力が進化的にそなわっているのかもしれない。このような選択のメカニズムがなければ多くの不適切な相関関係をひろいだしてしまうであろうし,目で見て学習するのでは正しい認知をうることができない。ある相関関係にたいする生得的な備えは,直接しめされたもので事例が少なすぎて学習できない容貌ー性格関係を性格に見分けるにも重要である。たとえば,クレチン病の身体的発現と精神的発現との相関関係は,この病気の患者を目にして学習されることはないと思われる。この病気はひじょうに珍しいからである。この病気について教わったことのない人がこの相関関係を認知できるとしたら,それはなんらかの生得的な備えがあったと考えていいだろう。人は容貌と行動の関係を認知できるようにできているという説を支持する証拠は,古典的な条件づけをつかった研究からもえられている。それによると,表情はおとなにもこどもにも同じくらいの誘発性をもつ事象とむすびつけられやすい。たとえば否定的な事象は幸せそうな顔よりおびえた顔や怒った顔とむすびつけられやすい。
レズリー・A・ゼブロウィッツ 羽田節子・中尾ゆかり(訳) (1999). 顔を読む:顔学への招待 大修館書店 pp.83-84
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