現在はっきりしているのは,人間の行動は,生物学的要因と環境要因の組合せによってもっともよく説明される----人間の行動の個人差には,遺伝子とそれまでの経験がほぼ同程度に寄与する----ということである。しかし,行動のこれらの要因のどちらも,自由意思について考える助けにはならない。なぜなら,どちらも,自由意志の存在を強く否定しているからだ。もし私たちのすべての行動が私たちが生まれるまえにゲノムに書き込まれたものから予測可能だというのであれば,このことから,私たちの選択の自由や選択の際の個人の責任について,なにが言えるのだろう?なにも言えない。だが,遺伝子の専制を恐れる人々は,私たちが白紙のような状態で生まれてきて,たくさんの経験を積んで分別のあるおとなになると考えることで,安心することもまたできない。それもまた,私たちが遺伝子のたんなる総和であるとした場合と同様,私たちの行動を予測可能なものに,そして選択し行動する私たちの自由を制約されたものにするからである。
しかし,生物学的決定論と環境決定論の「現代の統合」によっても(行動を説明するために遺伝子と環境を結びつけても),自由意志の問題は解決されないままに残る。2つの決定論を結びつけたところで,人間行動における選択の起源と意味を考える助けにはならない。自由意志こそ人間行動の特徴であって,行動を生み出すのが神経系だというのなら,自由意志は相互作用し合う神経細胞のぎっしり詰まったこの脳のなかのどこにあるのだろう?自由意志は,生物学的な観点からは意味をもちうるだろうか?自由意志は,伝統的に,人間に特有のものとみなされている。しかし明らかに,動物も選択を行う。線虫でさえ,2つの等しいバクテリア塊に直面すると,一方を食べるという決断を行ない,もう一方を失うという危険を冒す。この選択はランダムなのだろうか?とれる反応や行動が複数ある場合はつねに,動物は選択を余儀なくされる。こうした選択は,自由意志を含んでいるのか?もし含んでいないなら,私たちが人間の意思決定過程だけに特有と思っているものはなんなのだろうか?
ウィリアム・R・クラーク&マイケル・グルンスタイン 鈴木光太郎(訳) 遺伝子は私たちをどこまで支配しているか DNAから心の謎を解く 新曜社 pp.341-342
(Clark, W. R. & Grunstein, M. (2000). Are We Hardwired?: The Role of Genes in Human Behavior. New York: Oxford University Press.)
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