つまり,耳鼻削ぎ刑復活論者はいたずらに残虐な刑罰を復活させようとしていたのではなく,むしろ中間的な刑罰が欠如していることで,刑の偏重・偏軽が起こっているとして,刑罰の適正化を図ろうとしていたのである。現在の日本でも死刑の存廃をめぐって,しばしば死刑と無期懲役刑の隔たりの大きさが問題にされるが,なにやらそれと似たような議論である。ただし,古代中国の人々や日本中世の人々は,そのあいだの「現実的」な選択肢として耳鼻削ぎ刑を位置づけていたのである。
もちろん,当時の人たちも耳鼻削ぎにされるのは嫌だったにちがいない。だが,正当な理由,不当な理由を問わず<殺し/殺される>ことが日常的だった当時の社会においては,<殺し/殺される>ことに比べれば耳鼻削ぎのほうがましだ,という切実な感覚が人々のなかにあったのではないだろうか?良い悪いの問題ではなく,日本中世社会は<殺し/殺される>一歩手前の措置が現実的に用意されていて,それが次善の選択肢として一般に受け入れられていた社会だったのである。
清水隆志 (2015). 耳鼻削ぎの日本史 洋泉社 pp.63-64
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