さて,以上の3例をみてもわかるように,現在,耳塚・鼻塚と伝承されている史跡には,考古学的に耳塚・鼻塚と証明されているものは一例もなく,いずれも文献的にも戦国期まで遡ることができないものばかりであった。また場合によっては,民族調査の結果,近代以降に耳塚としての伝承が創出されたと思しきものすらあり,やはり現時点では,これらの伝承から史実を導き出すのには慎重にならざるをえない。もちろん,私自身,まだ全国すべての耳塚・鼻塚の調査を行ったわけではない。だから,同じ耳塚。鼻塚でも,ここで検討素材としたもの以外については,なんらかの戦国の史実を反映している可能性も依然として皆無ではない。文献的に遡るのは無理だとしても,今後,考古学調査の進展などによって解明が進むこともありえるだろう。安易に虚構と決めつけることなく,それらの真偽の検討は今後の課題としたいが,とりあえず現時点では,多くの伝承をそのまま鵜呑みにすることはできないことを指摘しておきたい。
清水隆志 (2015). 耳鼻削ぎの日本史 洋泉社 pp.198-199
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