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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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十種競技のたとえ

十種競技のgを使えば,同年齢の選手間での成績の差もかなり正確に予測できる。だが,各種目の成績がg負荷量の順位と同じになると言えるほど単純な話ではない。g負荷量から時代による成績の上昇パターンを推定することはできない。なぜなら,各種目の機能的な関連性はg負荷量をもとに判断できないからだ。
 たとえば,100メートル走,110メートルハードル,走り高跳びのg負荷量が同じくらい高いとしよう(実際もほぼそのとおり)。短距離走には上半身の筋力と瞬発力,ハードルには瞬発力と跳躍力,高跳びには跳躍力とタイミング感覚が必要だ。有能な選手はかならず3種目すべてで平均記録を大きく上回る。だが悲しいかな,社会が重視するものは時とともに変わっていく。世の中は世界最速の男を決める100メートル走に注目するようになり,若者は100メートル走で勝つことが異性を惹きつけると気づいた。みんなが100メートル走に力をいれるようになった結果,30年のうちに100メートル走の記録は標準偏差分伸びる。だが,ハードルは標準偏差の半分しか伸びず,走り高跳びにいたってはまったく変わらなかった。
 要するに,各種目の成績の上昇パターンは「下位検査」(この場合は競技種目)のg負荷量とは一致しない。相関の高い短距離走とハードルの記録は似たように伸びているが,同じく相関の高い短距離走と走り高跳びの記録はまったくちがう傾向を示す。したがってg負荷量をもとに,さまざまな運動能力の機能的な関連性を判断することはできないのだ。これに対する反応はふたとおり——運動能力どうしに数字の上での関連性はないという事実をありのままに受け入れて,それらの能力が現実世界でどんな機能を果たすかをくわしく分析するか,もしくは現実を全否定して,時代による成績の伸びを「空虚」,つまり「まやかし」と決めつけてしまうか,だ。後者は,因子不変でない変化はすべて「まやかし」だと言いきるだけで何も得るものがない。

ジェームズ・R・フリン 水田賢政(訳) (2015). なぜ人類のIQは上がり続けているのか?人種,性別,老化と知能指数 太田出版 pp.26-27
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