14世紀の記録によると,橋門の東側に10軒,西側に10軒,橋門とはね橋の間に7軒,礼拝堂とはね橋の間に17軒,その西側に20軒,礼拝堂の北の東側に35軒,同じく西側に32軒の商店が並んでいた。
300メートル足らずの橋の両側に,実に131軒の店が建っていたのである。この戸数は,当時としてはゆうにひとつの町を構成する数である。橋上の商店街はロンドンの市民にとって,大きな驚きであるばかりでなく,新しい生活圏の誕生を意味した。現代の人間が,海上都市の未来図を描くようであったかもしれない。
この131軒の戸数に対して,かりに一軒あたり5,6人の家族数を加えると,橋上で生活していた人々は600から700人となる。中世ロンドンにおける小教区教会の人数は約5,600人と推定されるため,やはり,ひとつの教会を維持するのに十分な数である。131軒という戸数は,橋の大きさから割り出されたにちがいないが,教会維持の経済的な面からの考慮もなされていたのではないだろうか。
出口保夫 (1992). ロンドン橋物語 聖なる橋の二千年 東京書籍 p.64
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