ジェンセンは,知能を脳や神経系内の現象としてとらえた。だがそれは,心理学的な外向性を生理現象と考えるくらいばかげている。どんな人が外向性かを生理学的に説明できるかもしれないが,それは,その生理現象が「他人と社交的に交流すること」と定義した外向性と相関しているからだ。「外向性」という言葉を脳内の現象で定義したら,その脳内の現象はその脳内の現象と相関していることになり,単なる同義反復だ。ジェンセンもそこまでかたくなではない。脳のある状態を,知能的行動とみなせる人間行動と関連づけて,知能の生理学的な根拠としているのだ。たとえば,脳のある生理現象が,物事をうまく速く学べるかどうかと相関している,という具合だ。
この間違った定義が次の間違いの引き金になっていなければ,単なる言葉づかいの問題として片付けることもできた。だがこうした還元主義は,物事の意義や説明についての信念を見誤らせてしまう。生理学がどれだけ成功をおさめようとも,人間の行動は生理学の用語だけで説明しつくせやしない。あるバスケットボール選手が,残り1秒で決勝点のスリーポイントシュートを決めたとしよう。生理学に長けていれば,その選手の体の動きとボールの軌道を予測できるだろう。ただし社会学的な側面を無視するかぎり,この行動をほんとうに理解したことにはならない。なぜなら,バスケットボールが存在しなかったら,そもそもボールをリングに入れて勝敗を競ったりしないだろうし,その選手はチームのエースだから最後のシュートを任されたのかもしれない。こうしたことは,生理学では明らかにできないのだ。
ジェームズ・R・フリン 水田賢政(訳) (2015). なぜ人類のIQは上がり続けているのか?人種,性別,老化と知能指数 太田出版 pp.167-168
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