ハワード・ガードナーはハーバード大学で認知・教育学の第一人者である。ガードナーは,知能は単一ではなく複数あるという「多重知能(MI理論)」を提唱し,言語的・論理数学的・音楽的・空間的・身体運動的・内省的・対人的という7つの知能をあげた(Gardner, 1983)。これらをすべて知能と呼んでいいのかどうか,研究者は科学的な見地から厳密に調べるべきだ。もしかしたら,モーツァルトがさまざまな音楽的「アイデア」を集約して作曲した行為は,アインシュタインがさまざまな空間的・時間的概念を集約して相対論をつくった行為と似ているのかもしれない。もしそうなら,音楽的能力と論理数学的能力のあいだにはこれまで考えられていた以上に共通点が多いのかもしれない。バレエダンサーの見事な身のこなしの知的側面も見落とされているのかもしれない。もしこれらになんらかの共通点がありながら,いままで見過ごされてきたのだとしたら,それらをすべて知能と呼んで人目を引くのは効果的なやりかただろう。
だが,この理論をこんなふうに取り上げた人はひとんどいない(この説を手放しで信じる人があまりに多いのは,もちろんガードナーの責任ではない)。この7つの能力を「知能」と呼んでいいのかという問題は,能力の違い(スポーツは得意だが勉強は苦手など)によって子供を区別していいのかという倫理的な問題にすり替えられてしまった。そのうえ拡大解釈されて,7つの能力すべてで劣っていても,その人なりにできることにもとづいて評価すべきかどうかという問題まで示されるようになった。
この倫理的問題に対する私の答えは「イエス」である。しかし,言葉遊びで社会的現実をねじ曲げてはならないと思う。専門家にふさわしい種類の「知能」で90パーセンタイルの位置にいれば何千もの道が開けるが,ソフトボールで90パーセンタイルの位置にいてもそうはならない。それが社会の現実で,親なら誰しも知っていることだ。自分の子供は「身体運動的知能」では高いパーセンタイル順位にいるが,それ以外の知能はさほどでもないと聞かされたら,親はどう思うのだろうか?
ジェームズ・R・フリン 水田賢政(訳) (2015). なぜ人類のIQは上がり続けているのか?人種,性別,老化と知能指数 太田出版 pp.182-183
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