gを認知能力全般の指標ととらえることは,弊害が大きい。その認識は広まりつつある。第一に,gを利用するにしても,社会的な考え方を忘れてしまってはならない。人が社会的に成功するための認知能力や個人的特性は,分析的知能だけではないのだ。
第二に,時代による認知能力の変化の歴史を理解するうえで,gはまったくあてにならない。gの意味をけっして忘れてはならない。gは認知的複雑性の指標だ。現代社会の進歩によってさまざまな知的能力が上がっていくのはなぜか?数ある知的能力のうちどれが上がっていくかが,各能力の認知的複雑性の程度によって決まるといった,なんらかのしくみがあるからかもしれない。だがそのようなしくみがないと知的能力は上がっていかない,と考えるのは間違いだ。もしそのようなしくみがあったとしたら,IQの上昇はgの上昇と等しくなるだろう。しかし,社会がどんな能力を求めるかが,そのような奇妙なしくみに従うだろうか。このことからわかるように,たとえgが上がっていなくても,IQの上昇には社会的な意味があるのだ。
第三に,人種によるIQ差を理解するうえでgは役に立たない。g負荷量の高い下位検査ほど人種間のIQ差は大きいが,そこから,その差は遺伝のせいなのか環境のせいなのか判断がつかない。環境が同じだと仮定しても,複雑な課題ほど集団間の差は大きくなるのだ。
ジェームズ・R・フリン 水田賢政(訳) (2015). なぜ人類のIQは上がり続けているのか?人種,性別,老化と知能指数 太田出版 pp.193-194
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