もちろん異国の風景の中では,ちょっとした差異が必要以上に大きくわれわれの五感に訴えかけてくる。日本人がドイツの商店街を歩いていると,駅前のきれいな商店街の一角に普通の衣料品や食料品の店と軒を並べて,全国展開する大きなポルノショップが店を開いているのに驚くことがある。そのことをドイツの友人に言うと「でも,きちんとした身なりのサラリーマンが通勤電車の中で白昼堂々とポルノ漫画やヌード写真が載ったスポーツ新聞を読んでいる光景の方が,自分たちにはよほどショックだ」と逆に言われた。それぞれの文化にはそれぞれのタブーがあり,ある面だけとりあげて「ドイツ人はセックスにおおらかだ」,「日本人はセックスのことしか頭にない」などという評価をすることはできない。そのことがわかってくれば,わずかな経験から,すぐさまステレオタイプ化された予見的判断をくだすことはなくなるだろう。必ずしも厳密な検証を経なくとも,われわれはみずからの多様性の感覚,偶然性の受容能力を高めることによって帰納的推理の効率化バイアスを緩和し,より正確な認識に近づくことができる。ただしそのさいの重要な前提は,すでに述べたように主体が不安から解放されていることだ。
鈴木 直 (2007). 輸入学問の功罪----この翻訳わかりますか? 筑摩書房 p.212
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