ところで,われわれは,人間の価値についての知識と,さらにそれによってその価値を利用することとは,全く相いれないものなのに,それぞれのテストに,求めることができるものだけを求めようとしないで,何もかも求めようとする,きわめて重大な動きに直面している。私はこのような手段がそのためのふさわしい唯一のものであるとは全く考えていない。しかし,それは1つのモデルであり,飛躍となった。これは個人の心理学的価値の直接的測定の最初の例である。漠然とした感じ以外の基礎にもとづいて,人間の不平等性という考えが確かめられた。これはその普遍的役割を示すことを可能にし,このような不平等性を評価することができるようにした。テストが要求している注意深さと特別な実験室の統制のもとにそれを実施したすべての人々にとってそのことが確信となった。試みがくり返されるにつれて,理論的なもっともらしい反対の空しさがいっそうはっきりしてきたように思われる。天才はいつもぬきんでているが……そのような前途有望な子どもが落第生になるかもしれない……安逸はどんな変化にも反対するものであるが,これら反対のすべてが事実により一掃された。そして疑いもなく,この方法はある種の熱狂をもって用いられ,おそらくそれには危険もともなう。疑いもなく,テストを用いるにあたっては,とりわけ慎重に秩序だてて注意深く行うのがよいが,しかしおそらく,それに従わなかったり,ビネが示した方法に従わなければ非常に危険である。
(1921年9月 Th.シモン)
ビネ, A. & シモン, T. 大井清吉・山本良典・津田敬子(訳) (1977). ビネ知能検査法の原典 日本文化科学社 Pp.19-20
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