シモンは,1961年9月4日,パリで88年の生涯を閉じた。
American Journal of Mental Deficiencyの67巻3号(1962)に,シモンのメモリアムを寄せたイオネル・ラパポール博士(フランス人類学学校)はその文を,次のようなことばで結んでいる:
「しかし,このような名声は,シモンの科学的態度とも,その謙虚さとも矛盾することがなかった。彼はそのテストの節度のない使用に批判的であった。さらに,その尺度の成功が,仲間の心理学者たちがビネの大きな目標----すなわち,人間,その本性,その発達を理解すること----を理解するのを妨げていると考えるようになった。ビネに忠実なシモンは,彼の師ビネとの緊密な共同研究の際に彼を引きつけたこのような目的をさらに進めようとした。ビネの死後シモンの論文,彼の講演はそのような目標をめざしていた。
このような考え方は,シモンがアルフレッド・ビネ協会を主催した47年間の間に完全な勝利を収めた。知能は単に測定されるだけでなく,教育されなければならないというのがビネの見解であった。遅滞児のための『精神整形学』がビネ・シモン尺度の創案者の一貫した目標であり,この点でもまた,シモンはビネの教えに忠実であった」
ビネ, A. & シモン, T. 大井清吉・山本良典・津田敬子(訳) (1977). ビネ知能検査法の原典 日本文化科学社 Pp.109-110
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