拡大した共同体のなかで,人類は初めて財産と身分を得た。絶え間ない移動をやめ,所有物を持ち運びできる量に限定する必要もなくなったので,みずから消費する以上の作物や物品を作ることができた。そうした余剰物はおそらく交換され,商業が始まったのだろう。日用品,価格,数,定量化,価値,資本といった,それまで狩猟採集民には縁のなかった概念が生活の一部になった。
すべての男性が狩りに出て,すべての女性が採集に出かける日々は終わった。より複雑な定住社会では労働の専門化が要求された。余剰物を保管し,分配し,近隣集団と交換するために管理人が必要になった。貧富の差も生じた。新たな社会は支配者と非支配者に分かれ,階層が生まれた。しかし,新しい支配者はどうやってみずからを正当化し,古くからの平等主義を捨てるような人々を説得したのだろう。
解決策の中心となったのは,狩猟採集社会で長年,権威と結束の源泉となっていた宗教だった。聖職が確立され,聖職者が儀礼を取りしきり,人々は彼らを介してしか神と交信できなくなった。宗教的舞踏も徐々に抑圧されていった。定住で生まれた新しい社会や古代国家は,官僚や軍隊など世俗の(民間の)機関を創設したが,それでも統治手段として宗教に依存していた。官僚制にしても,少なくともバビロニアでは最初,神殿に本拠を置き,民間ではなく宗教的な制度だった。古代国家の多くの指導者は,自分は神から指名された,または少なくとも神の承認を得て統治している,と主張した。彼らのなかには最高位の聖職者を兼ねる者もいた。こうした習慣は指導者にとって利用価値が高く,歴史上長く続いた。古代ローマの皇帝は「最高神官」であることを宣言した。イギリスでは今日でも,君主が英国国教会の首長である。多くの統治者が神との密接な関係を主張してきた。日本の天皇は近代に入ってからも,みずからを天照大神の子孫としてきた。ほかにも,古代エジプトの王ファラオは生ける神とされていた。だがローマの皇帝は総じて慎み深かったようで,神格化を死ぬまで延期した。皇帝ウェスパシアヌスは死の床で「いまいましい,私はそろそろ神になる」とおどけたそうだ。
ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.140-141
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