3つの一神教の誕生を振り返ると,ひとつのプロセスがあるのは明らかだ。すなわち,歴史を通して,宗教は社会が変わるたびに生じる新しい要求に応えるために,何度も作り変えられてきた。そして,大きな文化的刷新がもたらすこの作り変えは,宗教的行動を志向する性質という,きわめて柔軟な遺伝的枠組みのなかで起きた。
狩猟採集民の宗教は,共同体のメンバーに結束を命じる,超自然的存在との暗黙の交渉にもとづいていた。超自然界との交信のおもな形式は舞踏とトランスであり,それを通して別世界の代理者と遭遇することができた。
次の定住社会は,試行錯誤を重ねながら初期の農業をおこなっていた。人々は宗教を季節の周期に合わせ,作付けと刈り入れを忘れないようにした。過ぎ越しの祭とローシュハシャナ(新年祭)の起源である初期のカナン人の祭りに見られるように,舞踏は農業祭に取り込まれた。
1万年前に始まる新石器時代では,人口が増加し,社会は狩猟採集民の平等主義から階層制へと変化した。聖職者が宗教行事を取りしきり,超自然界との交信を独占することによって,権力を強化した。それまでよりはるかに多くの人々が,宗教の支配下に入った。
5000年前に文字が発明されると,超自然的存在の観念は文字化され,聖典が都市宗教の標準的な要素となった。紀元前7世紀ごろ,儀礼と歴史と民族統一という政治課題を担うユダヤ教が,最初の近代的宗教となった。さまざまな目的を持つ多神教に一神教が取って代わり,超自然的存在との直接交信は,現在の体験ではなく,過去の歴史の事実になった。
この新しい宗教は,祖先の狩猟採集民の宗教と同じくらい,共同体を結束させる効果があった。この場合の共同体は,狩猟民の集団ではなく,ひとつの小国家である。ユダヤ人は自らの宗教に鼓舞され,繰り返しローマの支配に反逆した。そして1900年ものあいだ,ユダヤ人の共同体は故国を持たず,信仰の結束によって生き延びてきた。
それほど強いにもかかわらず,ユダヤ教には厳しい限界があった。それは部族の宗教であり,割礼と律法によって単一の民族性を帯びていた。キリスト教とイスラム教が相次いで出現すると,宗教行動がそれよりはるかに大きな働きをすることが明らかになった。宗教以外にほとんど絆を持たない人々をひとつにまとめる働きだ。
ユダヤ教の厳格さを緩和したヘレニズム的ユダヤ人は,最初の普遍宗教となるキリスト教を創造した。それはローマ帝国内の多様な民族と,のちにキリスト教徒となる人々を束ねた。
イスラム教も似たような成功を収めた。ムアーウィヤとアブド・アルマリクは,アラブ帝国内の論争の絶えないキリスト教諸宗派をまとめ,さらにビザンチンの教義に対抗できる普遍宗教を必要としていた。
3つの一神教の誕生により,宗教の樹はほぼ1500年間変わらぬ完成形になった。
ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.212-123
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