だが,実社会の問題の帰趨がかかっているときに脳スキャン画像を深読みすると,由々しき事態を招きかねない。法律を考えてほしい。人が罪を犯したときの責任の所在は?咎めるべきは加害者か,それとも加害者の脳か?これは無論,選択しの設定を誤っている。もし私たちが生物学から学んだことがあるとすれば,それは,「私の脳」と「私」という区別が虚偽であるということだ。それでもなお,行動の生物学的な根源が特定できれば(そして,目を奪う色鮮やかな斑点として脳スキャン画像で捉えられれば,なおさら好都合なのだが),吟味の対象となっている行動は「生物学的」なものに違いなく,したがって「生まれつき組み込まれて」いる,故意ではなかった,あるいは制御できなかったと,素人があっさり思い込むのも無理はない。刑事訴訟で弁護士が,依頼人に殺人を犯すように「仕向けた」生物学的欠陥を示しているという触れ込みの脳画像に頼る例がしだいに増えているのは,少しも意外ではない。
サリー・サテル スコット・O・リリエンフェルド 柴田裕之(訳) (2015). その<脳科学>にご用心:脳画像で心はわかるのか 紀伊國屋書店 pp.17
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