犯罪者に責任を課す法制度の権限そのものが,責任の帰属に関する心的内容と意思能力の関係を正確に把握することにかかっているのだ。もう少し話を具体的にしよう。有罪と判断するにあたって,脳科学的データは,法にどのような手助けができるのか?この問いに答えるには,法が有罪かどうかをどのように決めるかを理解する必要がある。手短に背景に触れておく。アメリカの刑法では,ある人が禁じられた行為に及ぶ意図があった場合,本人に罪の責任を負わせる。意図があるというこの精神状態は「犯意(メンズ・レア)」あるいは「有罪の心(ギルティ・マインド)」と呼ばれており,通常,意志と無謀さのどちらかを要する。犯意があったという証拠がなければ,法は人に刑事責任を問えない。たとえば,自動車が勝手に暴走し,歩行者をはねて殺しても犯意があることにはならないが,車を歩行者に向け,アクセルを踏んでその人をひいた場合は犯意があることになる。
とはいえ,禁止されている行為に及んでも罪を免れる状況もある。正当防衛がその一例で,命を奪うような攻撃を加えてくる不法な襲撃者を故意に殺しても許される。そのような攻撃は被告人の行為を「正当とする根拠」と見なされる。また,被告人が「免責される」状況もある。それはつまり,被告人の行為は依然として違法と考えられるが,被告人はその行動に責任はないと見なされるということだ。脅迫された場合(もし被告人が,よく言われる言葉を使えば,「頭に銃を突きつけられながら」罪を犯した場合)や,心神喪失[精神障害により善悪が判断できない状態]の場合も免責される。
サリー・サテル スコット・O・リリエンフェルド 柴田裕之(訳) (2015). その<脳科学>にご用心:脳画像で心はわかるのか 紀伊國屋書店 pp.163-164
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