人間が自分ではどうにもならない自然の法則に従う機械装置にすぎず,諸因の海で揺れ動く浮きのようなものである世界に生きるとは,何を意味するのだろう?決定論が正しいとすれば,その帰結は深刻だ。第一に,私たちは道徳的責任の概念を根底から見直さなくてはならない。なにしろ,ある状況におけるあなたの選択が前もって決まっている——そしてそれが唯一「なしえる」選択なのだ——としたら,誰に責を負わせればいいというのか?「固い決定論」と称される考え方によれば,そもそも選択の余地がないのだから,責任もいっさい存在しえない。そして,責めを負うべき者がいなければ,道徳的に刑罰に値する者もいない。あなたが悪事を働いたとしても,それはあなたの過ちではない。また,あなたが聖人のように振る舞ったとしても,それはあなたの功績ではない。人間の行為者性についてのこの説明は,自由意志(あるいは,一部の哲学者が言う「究極の自由」)という考え方を根底から揺るがす。
サリー・サテル スコット・O・リリエンフェルド 柴田裕之(訳) (2015). その<脳科学>にご用心:脳画像で心はわかるのか 紀伊國屋書店 pp.196
PR