つまり,経済的梯子の一番下にいる人種や社会階層の人たちの上げようにも上げられないIQ値を上げるために,骨を折り,金を出す理由があるのだろうか?それよりも,ただ自然の不運な命令を受け入れ,多額の連邦準備金を節約するほうが好ましい(そうすれば,金持ちへの税制優遇措置をより簡単に維持できる!)。あなたが住んでいる高級住宅地内の不利な境遇にある人々の過小評価をなぜあなた自身が悩む必要があるというのだろうか。もし次のような欠如,つまり拒絶されたグループの多くの人々の能力あるいは一般道徳が低下していることは,生物学的に刻印されており,社会的偏見の遺産でもなく,現実の実状でもないとするならば,悩む必要などないのではないか(そのように刻印を押されたグループとは,人種,階級,性別,行動上の性癖,宗教,出身国である。生物学的決定論は一般理論であり,現在の軽蔑の対象となる特定の担い手は,どこでも,いつでも,似たような偏見の対象となるすべての他者の代理となる。その意味で,名誉を傷つけられたグループ間の団結を要求することは単なる政治的レトリックとして避けられるべきではなく,むしろ虐待という共通の理由に対する正しい行動であると,称賛されるべきである)。
スティーヴン・J・グールド 鈴木善次・森脇靖子(訳) (2008). 人間の測りまちがい:差別の科学史 上 河出書房新社 p.29
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