一般に家康は鯛の天ぷらによる食中毒で亡くなったとされる。だが『江戸時代医学史の研究』を著した医史学者服部敏良博士は,家康の死因は胃がんではなかったかと指摘する。その根拠として,家康はしばらく前から食欲がなく,からだが徐々にやせてきたこと,侍医の触診にて腹中にしこりをふれたこと,もし鯛の天ぷらによる食中毒で死亡したならば数週間以内で決着がついたはずだが家康が亡くなったのは発病から3か月もかかったことなどをあげている。服部博士は家康の胃がんは以前から発症していて鯛の天ぷらが症状を顕在化させる引き金になったのではないかとも推測する。たしかに胃がんが腹上よりしこりとなってふれるようであればすでに末期であろう。食欲がないならと茶屋四郎次郎に鯛の天ぷらをすすめられた気配もある。がんはしばしば家系的にみられるが,のちに述べるように息子の忠英や孫の水戸光圀も消化器がんでたおれたことや,臨終間ぎわまで意識があったこともがんの発症をうたがわせる。
篠田達明 (2005). 徳川将軍家十五代のカルテ 新潮社 pp.34-35
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