学者は,たいていの場合このようなかかわりを語るのを警戒する。なぜならば,固定観念として,冷静な公平無私は,感情に左右されない正しい客観性にとって必須要件として働くと考えられているからである。私はこの主張が,私の職業に広くゆきわたった最悪でしかも有害な主張の1つであると考えている。公平無私であること(たとえ望ましいとしても)は,避けられない背景,要求,信念,信仰そして欲望などがあるため,人間には達成できるものではない。学者が,自分は完全に中立を保てると思ったとしたら,それは危険である。なぜならば,そうした時,人は個人的好みとその好みがもたらす影響力に目を配るのをやめてしまっているからである----つまり,その人の偏見の命ずるところへ本当に落ち込んでしまう犠牲者になるからである。
スティーヴン・J・グールド 鈴木善次・森脇靖子(訳) (2008). 人間の測りまちがい:差別の科学史 上 河出書房新社 p.44
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