プロローグで述べたように将軍が亡くなるとその場で遺体の身長を測り,これと同じ長さの位牌をつくって三河の大樹寺まで運んだ。大樹寺に展示された歴代将軍の位牌の中できわだつのは綱吉のそれが低いことである。わずか124センチしかない。綱吉は犬公方と呼ばれて人々を苦しめたから,亡くなったとたん,計測係がこのときとばかり身長を好い加減に計ったのかとわたしは勘ぐった。だが位牌は幕府が公式に製作して三河まで運ぶものであって,そんな非礼はできるはずもない。父家光の身長は位牌によると157センチ,母桂昌院のそれは遺体の実測値で146.8センチである。江戸時代の男女としては標準的寸法である。その両親から生まれた綱吉の背丈が小学2年生ぐらいしかないのは低身長症と断じてもよいだろう。
低身長症の原因には内分泌異常,骨系統疾患,栄養不足,愛情遮断性小人症などさまざまなものがある。綱吉の肖像画を見ると均整のとれたからだつきをしており,特別な症状はみとめられない。したがって突発性(原因のはっきりしないとき医者はこういう便利な用語を使う)あるいは成長ホルモン分泌異常による低身長症と思われる。将軍が極端に小柄であれば,いかにも威厳が足りず,綱吉にとって大きなコンプレックスになっただろう。
篠田達明 (2005). 徳川将軍家十五代のカルテ 新潮社 pp.89-90
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