文化的規範と各自の願望との葛藤があるために,私たちの孤独感はいっそう複雑化し,ときにはカムフラージュされる。たとえばウェブ文化では,個人のホームページ上に「友人」を1000人載せられるように望むべきだとされるかもしれない。別の文化では,新製品発表会で会う人が全員顔馴染みで,接待用のスイートに通されてオープンバーや巨大なシュリンプカクテルで最高のもてなしを受けることが一番の目標かもしれない。また今日のメディア文化では,ユーチューブや素人が出演するリアリティー・テレビ番組で有名人になれば,たとえ恥をかこうと,幸せな気分になれると何百万もの人が思い込まされているようだ。それでいて,ややもすると,自分が受け入れている文化が命ずるままに何もかもきちんと行った人が,「どうして私はこれほど惨めなんだ?」と,相変わらず自問し続ける羽目になる。文化のお墨付きを得たことをやり遂げたにもかかわらず,自分の孤立感を癒やしてくれる有意義なつながりを得られずにいるのだという考えを,彼らははっきり表現できないのだろう。あるいは心に抱くことさえできないのかもしれない。
ジョン・T・カシオッポ&ウィリアム・パトリック 柴田裕之(訳) (2010). 孤独の科学:人はなぜ寂しくなるのか 河出書房新社 pp.104-105
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