書き言葉は,書く前あるいは書いている過程で,あらかじめ頭の中に書きたいことがあれこれと浮かんでくることを前提としている。この頭の中での書きたいことの展開は,まさに内言によって行われる。つまり,書き言葉は内言の絶えざるはたらきを必要としている。
内言は自分との対話であるから,内言で陳述されていることがらの状況や内容は,その主体にとっては分かっている。第三者に対する話し言葉で不可欠な主語や状況の説明語は内言では不要であり,省略される。内言は言葉の構造という点では非文法的で,主語や説明語が省略された,ほとんど述語の連鎖で成り立っている言葉である。内言は最大限に圧縮された,構文の整っていない言葉であり,内言の意味の世界は当人だけが了解している。
したがって,頭の中の書きたいことを内言のまま文字にしたのでは,当人にはその背後の意味が分かっても,読み手には全く伝わらない。内言の意味まで伝わる書き言葉には,主語と述語,様々な修飾語や補語,接続詞などが必要である。書き言葉は省略を許されない,最大限に展開された構文的に形の整った言葉なのである。
こうして,子どもが内言の意味の世界を書き言葉にするときには,最大限に圧縮された言葉を,最大限に展開された構文の整った言葉へと翻訳しなければいけない。しかも,この再構成の過程そのものを自覚的・随意的に行うことができて初めて,書き言葉が綴られることになる。
中村和夫 (2004). ヴィゴーツキー心理学完全読本 新読書社 p.38
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