DNA鑑定型の専門家を取材していくと,事件当時の鑑定はまだ試運転のような状態であり,“実戦”で使えるようなレベルではなかったという。実は,90年代初頭のDNA鑑定は,血液型鑑定と同様に「型」の分類である。MCT118法の鑑定では三百二十五通りの型に分類していた。そのため本書ではこれを「DNA型鑑定」と明記している。従来のABO式血液型鑑定では四種類の分類だったから,飛躍的に増えたとも言えるのだが,初戦は型分類だから同型異人もいることになる。
「足利事件」の犯人のDNA型は「16-26」という型とされていた。
その型と血液型B型を併せ持つ者は,逮捕当時「1000人に1.2人」とされたことは書いた。ところがしだいにサンプル数が増え,93年になるとこれが「1000人に5.4人」と一致率はダウン。当初の4倍強である。菅谷さんの弁護団の試算によれば,同じ型は足利市内だけで200人以上もいたはずだという。
清水 潔 (2015). 騙されてたまるか:調査報道の裏側 新潮社 pp.101-102
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