私は,スクープというものを大きく分けると,2種類あると思っている。
1. いずれは明らかになるものを,他より早く報じるもの
2. 報じなければ,世に出ない可能性が高いもの
1は「抜き」などと呼ばれ,各社が秒単位でその速さを競っているのはご存知の通り。だが,その内容の全てが国民にとって一刻も早く必要なものかどうかといえば疑問である。もちろん地震速報や津波警報などは重要だ。
しかし例えば「警察庁は○○事件で,男の逮捕状を請求する方針を固めた」「テニスのXX選手が今年限りで引退する意向であることがわかった」など,いずれもしばらくすれば明らかになるニュースの「途中経過」である。なのになぜ速さを競うのか。
一体,誰がそれを求めているのか。
ジャーナリストの牧野洋氏によれば,誰が早く報じたのか,という経緯は読者や視聴者には関係ない。アメリカのジャーナリズム界では,速さは評価されず,それは「エゴスクープ」と呼ばれているという。ごもっともだと思う。
私自身が意識しているスクープは,当然2の方である。それにこそ意味があると信じている。
清水 潔 (2015). 騙されてたまるか:調査報道の裏側 新潮社 pp.138-139
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