世間の偏見を理解するには,まずその慣習的なあり方を分析するのが得策である。この観点から,人気のあるアメリカの著作に目を通すと,だれでも,知性という観念と知能という観念とが明確にちがうことに気づくはずだ。前者はよく,一種のののしりとして使われるが,後者はけっしてそういうことはない。だれも知能の価値を疑わない。知能は理想的特性として世界じゅうで尊重されており,知能が並外れて高いと思われる個人は深く尊敬される。知能の高い人はつねに賞賛を浴びる。これに対して高い知性をもつ人は,ときには——とくに知性が知能をともなうと考えられるときには——称賛されるが,憎悪と疑惑の目を向けられることも多い。信頼できない,不必要,非道徳的,破壊的といわれるのは知性の人であって,知能の高い人ではない。ときには,その高い知性にもかかわらず,知能が低いとさえいわれるのだ。
リチャード・ホフスタッター 田村哲夫(訳) (2003). アメリカの反知性主義 みすず書房 pp.21
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