この知能の質と知性の質との相違は,そう規定されるというより,そう推量されるにすぎないことのほうが多いのだが,それらがよく使われる文脈から,両者の微妙な違いを察することができる。そしてこの違いはほぼだれにでも理解できることだ。つまり,知能はかなり狭い,直接の,予測可能な範囲に適用される頭脳の優秀さを指す。ものごとを処理し,適応するなど,きわめて実質的な特質——動物の長所のうち,適応するなど,きわめて実質的な特質——動物の長所のうち,もっともすぐれ,魅力あるもののひとつ——である。知能は,限定され明確に定められた目標の枠内ではたらき,そのために用をなさない考え方は,さっさと切り捨てる。そして,知能は世間一般で広くもちいられるため,そのはたらきは日常的に観察でき,単純・複雑,双方の考え方からおなじように評価される。
一方,知性は頭脳の批判的,創造的,思索的側面といえる。知能がものごとを把握し,処理し,最秩序化し,適応するのに対し,知性は吟味し,熟考し,疑い,理論化し,批判し,想像する。知能はひとつの状況のなかで直接的な意味を把握し,評価する。知性は評価を評価し,さまざまな状況の意味を包括したかたちで探し求める。知能は諸動物のひとつの特質として高く評価される。それに対し,人間の尊厳を唯一表わすものである知性は,人間の特質のひとつとして高く評価される一方,非難もされる。両者の相違がこのように明確になれば,なぜ,だれがみても鋭敏な知能をもつ人が,やや知性に欠けると言われるのか,同様に,なぜまちがいなく知性的な人びとに,かなり多方面にわたる知能がそなわっているのか,理解し易くなる。
リチャード・ホフスタッター 田村哲夫(訳) (2003). アメリカの反知性主義 みすず書房 pp.21-22
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