ハーヴァードの卒業生の第一世代が,狭い神学教育しか受けていなかったと考えるのは誤りである。たしかに,ハーヴァードをはじめとする植民地大学の発端は神学校にすぎなかったと広く考えられてきた——そしてピューリタンの祖父たちが「学識のない牧師たち」の増加に不安を表明していたことは,この考えを裏づけているようにみえる。しかし実際には,ハーヴァードの創立者が訓練を受けたオックスフォードやケンブリッジ大学は,長期にわたる徹底した人文科学の伝統をもっていた。植民地時代の教育の創始者たちの目には,聖職者にふさわしい基本教育とその他の教養人に適した基本教育とは,なんら異なるものではなかったのである。ハーヴァードが神学校だったとみる考えは,近代の専門主義や教派間の競争の産物であり,大学の世俗化への脅威が生んだ反動にすぎない。そうした考えは創始者たちの視界の外にあった。彼らは他の職業につく学識者よりも,牧師の学識者を必要と感じてはいたが,牧師たちに対しては,他の世俗の指導者や実務家と机を並べておなじ教養課程に学ぶことを期待したのである。結果は彼らの望みどおりになった。ハーヴァードでは最初の二世代のうち,牧師になったのは卒業生の約半分だけで,残りの者は世俗の職についている。
リチャード・ホフスタッター 田村哲夫(訳) (2003). アメリカの反知性主義 みすず書房 pp.53
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