理由はともあれ,人びとは伝統的な宗教のいかなる拘束力によっても保持できない存在になり,礼拝形式やくわしい信条とも無縁になっていた。諸教派はこうした人びとに教会への忠誠を誓わせようとしていたのだ。もはやかつての形式や信条をとおして訴えても,ふたたび人びとを惹きつけられるとは思えなかった。有効手段と考えられたのは,人びとを最初にキリスト教に帰依させたもの,つまり一種原始的で情緒的な訴えを復活させることだった。復興運動は伝統手技が失敗した部分で成功した。情緒的高揚が,宗教的エスタブリッシュメントの強制的規制に取って代わったのだ。単純な人びとは,単純な思想によって信仰に引き戻された。力をもつ説教師は複雑さを排除し,人々にもっとも単純な二者択一の選択——天国か地獄か——を迫ったのだ。救済もまた,選択にかかわる問題だとされた。罪深き者は「宗教を掴む」ものだとされ,宗教が彼を掴むのではなかった。どのような方法であれ,人びとを信者の群れに引き戻せればよかった。
リチャード・ホフスタッター 田村哲夫(訳) (2003). アメリカの反知性主義 みすず書房 pp.74
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