クロケットは,自然児の生き方と自然の直観力を誇りにしていた。1834年に出版した自伝のなかで,彼はテネシー州の法廷でくだした判決について,こう自慢している。当時は「自分の名前しか書けなかった」。しかし「私の判決は一度も控訴されなかったし,仮に控訴されたとしても,その判決は蝋のように固着して動かされることはなかった。なぜなら,私は常識の正義と人間どうしの誠実という原則にもとづいて判決をくだしたのであり,また人間本来の判断力を信頼し,法の知識を信頼しなかった。私は生まれてこのかた法律の本など1ページも読んだことはない」。常識の力に対するこのような無邪気な信頼感は,クロケットの法律上の判決によって正しかったことが証明されたかもしれない。だが,彼はそれだけで満足しなかった。彼は熟考のうえで知的世界を軽蔑していたのである。
リチャード・ホフスタッター 田村哲夫(訳) (2003). アメリカの反知性主義 みすず書房 pp.142
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