「脳が可塑的であると宣言しはじめたら,どうなったと思います?敵意をもたれましたよ。ほかに言いようがないんだ。論評にはこんな言葉がおどった『これが真実でありうるなら,たいそう興味深いことになるであろう』。まるで,こっちが作り話をしているみたいな扱いだった」
おとなになってからも,脳マップが境界や場所を変更し,機能を変化させることが可能であるというのがマーゼニックの主張だった。これに対し局在論者たちは食ってかかった。マーゼニックは言う。
「神経科学の主流にいた研究者で,ぼくが知っている人はほとんど全員が,これはまともに取りあげる問題ではないと思っていた。実験はずさんで,記述されている効果は不確実だと考えた。実際には,実験は十分な回数やっていたから,主流派の意見は傲慢な決めつけだった」
疑問の声をあげた研究者のなかには,有名なトーステン・ウィーゼルもいた。臨界期に可塑性があることを明らかにしたウィーゼルだが,成人にも可塑性があるという考え方には反対だった。彼は,ヒューベルと自分は,「皮質の結合が成熟した形で確立したら,その場所に永遠にとどまると固く信じている」と書いた。ウィーゼルは,視覚処理の場所を明確にしたことでノーベル賞を受賞し,彼の発見は,局在論の大きな拠りどころとなっていたのだ。いまではウィーゼルは,成人にも可塑性があることを認め,自分は長いことまちがっていたし,マーゼニックの草分け的な実験のおかげで,自分も同僚の研究者たちも信条を変えるにいたったと,潔く認めている。ウィーゼルほどの研究者が意見を変えたことで,それまで局在論に固執していた研究者も考えを改めた。
「もっとも不満だったのは」とマーゼニックは言う。「神経可塑性は,医学の治療にいろいろな可能性をもっていたのに----つまり,神経病理学とか精神医学の解釈が変わる可能性も秘めていたのに,だれも注意を払わなかったことだ」。
ノーマン・ドイジ 竹迫仁子(訳) (2008). 脳は奇跡を起こす 講談社インターナショナル Pp.87-88.
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