ところで,中心となってこれらの実験を計画し,進めたのは本当にプングストだったのだろうか。ドイツの心理学者ホルスト・グントラッハは事の真相に疑問をもち,従来いわれていた経過にいくつか矛盾があるのを指摘している。たとえば,プングストは何年も博士論文に取組んできたのに,結局は論文を仕上げなかった。どうして,「賢馬ハンス」についての研究を論文として提出できなかったのだろう。そもそも,研究助手でさえないプングストが,どうして単独で本の著者になったのだろうか。教授が学生の著作に名前を連ねるのは,ごく当たり前の慣習である。彼はその後一冊も本を書かなかったし,論文すらほとんど発表しなかった。グントラッハは,この本の大部分を書いたのは実はプングストではなく,彼の教官のカール・シュトゥンプだと考えている。だがシュトゥンプは,それ以上ハンスとかかわりたくなかったのだ。ハンスの秘密が暴露されたときに,シュトゥンプと同じ心理学者たちや報道機関が,何カ月間もハンスの奇跡的能力を信じていたシュトゥンプを馬鹿にしたからである。
レト・∪・シュナイダー 石浦章一・宮下悦子(訳) (2015). 狂気の科学:真面目な科学者たちの奇態な実験 東京化学同人 pp.61
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