ワトソンが制作した悪名高い「アルバート坊や」の映画のおかげで,この実験は広く知られて心理学の伝説の一つとなり,いくつも不正確な話が伝わるようになった。たとえば,一部の教科書にはワトソンがアルバートにネコ,マフ(手を入れる円筒形の毛皮の防寒具),白い毛皮の手袋,テディー・ベアを見せたと書かれている。またアルバートの反応も,それぞれの理論に合うよう好き勝手な解釈がなされている。さらに一部の本の著者たちは,ワトソンがどのようにして,アルバートに条件づけした恐怖を実験を終える前にすべて消去したか,詳しく説明している。しかし実際には,ワトソンはそんなことは全くしなかった。アルバートと母親がいつ小児病院を離れる予定になっているかをワトソンが前もって正確に知っていたことを考えると,これには非常に驚かされる。しかも,彼は自分の実験がどのような結果をもたらす可能性があるかを十分承知していたのに,である。実験結果を発表したときに,ワトソンは「これらの反応は,それを除去するような偶然の状況に出会わないかぎり,家庭環境にあっても永久に持続する可能性が高い」と書いている。
それからほどなく,ワトソンは別の実験でレイナーと親密すぎる関係になり,大学を追放された。その後彼は,子供の教育についての有名な本を書いた。そのなかで彼は,子供に愛情や関心を持ちすぎないようにと,親に対してアドバイスしている。アルバート坊やの実験から40年経って,心理学者のハリー・ハーロウがサルで一連の冷酷な実験を行い,ワトソンのアドバイスがいかに誤りであったかを実証した。
レト・∪・シュナイダー 石浦章一・宮下悦子(訳) (2015). 狂気の科学:真面目な科学者たちの奇態な実験 東京化学同人 pp.74-75
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