コチニールカイガラムシには野生種もいくつかあるが,商業的に飼育される養殖種のほうが,いい染料になる。チャールズ・ホーグによると,コチニールカイガラムシの飼育と採取の技術は中央メキシコのアステカでもっとも発展し,スペインによる征服の後も長らく彼らの手で続けられたという。スペインはほぼ250年間——18世紀の終わり近くまで,コチニールを独占した。この時期コチニールはメキシコとグァテマラを中心に,新世界だけでしか生産されていなかった。スペインはコチニール染料の出所を「国家機密」とし,それが植物由来だという噂を否定する努力もしなかった。むしろそうした噂を率先して流した節もある。カナダの年ケベックの礎を築いたフランスの探検家サミュエル・ド・シャンプランが,1602年にコチニール染料の原料なるものを報告している。シャンプランの記述は徹頭徹尾彼の想像の産物だった。ドンキンの引用でシャンプランの描いたコチニールの絵とその解説を見てみると,コチニールは「胡桃大の実をつけるよく茂った低木で,実の中には種がいっぱいに詰まっている。この実を,種が乾燥するまで放置し,割って叩いて種を取り出し,さらなる収穫を得るためにこれを植える」ということになっていた。
ギルバート・ワルドバウアー 屋代通子(訳) (2012). 虫と文明:蛍のドレス・王様のハチミツ酒・カイガラムシのレコード 築地書館 pp.78
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