いまから2600年ほど前,ユカタン半島と中米にいたマヤ人は紙にかなり近いものにヒエログリフを記していた。マヤの本は古写本(コーディス)と呼ばれ,チャールズ・ガレンカンプによれば,植物の繊維を叩きつぶしたものを天然ゴムで固め,両面を白い石灰で覆った1枚の長い「紙」でできたものだったという。植物や鉱物の顔料で複雑なヒエログリフを記すと,その「紙」を折りたたみ,木か革の表装で挟んだ。ガレンカンプは,16世紀半ば,スペインの侵略者たちがマヤの図書館を気まぐれに破壊しつくし,後世の学者たちにとって宝物ともなったであろう貴重な情報源が理不尽に失われてしまったと指摘し,フランシスコ会修道僧ディエコ・デ・ランダに「異端審問の精神は赤々と燃えあがった」と皮肉な調子で記している。マヤの人々が頑として改宗を拒むのに激怒したデ・ランダは,マニの町にあった図書館の「異端の」コーディスを,町の広場で公開焚書するよう命じたのだった。
ギルバート・ワルドバウアー 屋代通子(訳) (2012). 虫と文明:蛍のドレス・王様のハチミツ酒・カイガラムシのレコード 築地書館 pp.132
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