1921年,イギリス領ガイアナ(現ガイアナ)でウィリアム・ビーブが地中のハキリアリの巣を掘り出していると,彼は怒り狂った防衛蟻の一群に攻撃された。攻撃してきたのは小さな働き蟻と中くらいの蟻,そして強力な顎のある体長2,3センチはあろうかという兵隊蟻で,兵隊蟻はその顎でビーブのブーツの革にがっちり食らいついた。翌年ビーブがブーツを取り出してみると,そこには「2匹の(兵隊蟻の)頭と顎が,過ぎた年の忘れられた襲撃の形見のように,まだしっかりと食いついていた」という。ビーブはさらに,「この万力のごとき顎の力は,蟻が生きていようが死んでいようが構わずに働くため,ガイアナの先住民は傷口を縫い合わせるのに利用している。針と糸を使うのではなく,大型の(ハキリアリの兵隊)蟻を集めてきて顎を皮膚に近づけるとがっちりと噛み合わさる。蟻が離れなくなったところで体を切り離し,傷が癒えるまで顎をいくつも噛ませておくのだ」
海を渡って東半球では,蟻を傷口の縫合に使う画期的な方法は,紀元前2000年以前のインドではじまっていたとE.W.ガジャーは言う。この用法が最初に文献に現れるのは,ヴェーダの第四部だ。ヴェーダは古代サンスクリットの知恵を集めた書物であり,インド医学の最古の文献といってもいい。「腸閉塞の手術中,腸壁の」切開部を閉じるのに,生きたクロアリが使われた。なんと3000年以上前のことである!この知識は後にアラブ人に伝わった。イスラムの名のもとに,8世紀,アラビア半島を飛び出してアフリカ北部とスペイン,そしてフランス南部へと席捲した人々に,である。
12世紀のスペインで医療に携わっていたアラビア人医師アルブカシスは,切り口を縫合するのに蟻を使った。中世紀末からルネサンス期には,ヨーロッパで傷口の縫合に広く蟻が用いられていた。当時,外科医の中には,そうした蟻の使い方を冷笑する者もあったという。とっくに廃れた手法だというわけだ。そして17世紀以後,ヨーロッパの外科医は縫合に蟻を使わなくなった。だが,地中海東部と南部では,少なくとも19世紀の終わりまで,この手法が生き続けていたようだ。
ギルバート・ワルドバウアー 屋代通子(訳) (2012). 虫と文明:蛍のドレス・王様のハチミツ酒・カイガラムシのレコード 築地書館 pp.204-205
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