進化というのは,環境に適応的な性質を持った者が,そうでない者よりもたくさん生き残って子孫を増やすことで起こる現象だから,そこに競争的要素があるのは確かである。しかし,先にも述べたように,「適応」というのは,生物の遺伝子にどういう突然変異が起こるかとか,そのときの環境条件がどうなっているかといった偶然に左右されるもので,そうした偶然によって生物の体のつくりや行動パターンが,あっちに変化したりこっちに変化したりするのが進化の過程である。強い弱いで言うなら,今までの生物で最も強いのはおそらくティラノサウルスあたりではないかと思うが,彼らは進化の中でずいぶん以前に敗れて絶滅してしまっている。大きくて強い恐竜が気候の変化に適応できずに絶滅し,それまで恐竜の目を逃れてひっそりと暮らしていた哺乳類が繁栄したことからも分かるように,生物をとりまく環境は可変的で,その中で何が「適」で何が「不適」かも常に変動する。あえて競争にたとえるなら,昨日までは相撲で競争していた者同士が今日からは将棋で競争することになったというような状況が進化では常に起こりうるわけで,そこに強弱や優劣を持ち込むのはおかしいし,そもそも持ちこみようがない。進化と進歩は違うのであり,劣った者が淘汰されることで世界が良くなるとか発展するといった話は,人間行動進化学からは出てこない。
内藤 淳 (2009). 進化倫理学入門:「利己的」なのが結局,正しい 光文社 pp.29
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