「脳の活動は,たえずこねている粘土のようなものです」。わたしたちがなにをしても,この粘土のかたまりを形作ることになる。ただし,と彼はつけ加えた。「粘土の四角いかたまりからはじめて,それを丸いボールにして,また四角にもどすことはできるでしょう。でも最初と同じ四角にはなりません」。
似たように見えて,同一ではない。新しい四角のかたまりは,分子の配列がちがっている。言い換えれば,同じ行動であっても,それをおこなうときが異なれば,使う回路も異なる。神経の問題や心理的な問題をかかえた患者が「治った」としても,患者の脳は「最初にあったとおりの状態」にもどることはない。
「脳システムに備わっているのは可塑性であって,伸縮性ではないのです」パスカル-レオーネはよく響く声で言った。伸縮性のあるゴム紐は伸びて,かならずもとの形にもどる。その過程で,分子構造が変化することはない。可塑性のある脳は,なにかに出会い,相互作用があることでたえず変化する。
そこで問題が生じる。脳がそれほど簡単に変化するなら,どのようにして過度の変化から守られているのか?脳が粘土にたとえられるくらい変化するなら,どうしてわたしたちはわたしたちのままでいられるのか。わたしたちは,遺伝子によって,ある程度までは一貫性を保つことができる。さらに,反復も一貫性を保つために有効である。
パスカル-レオーネはこんな比喩を使って説明してくれた。脳は,冬に雪が積もった丘陵のようなものだ。斜面や岩,一面の雪景色は,遺伝子であり,あらかじめあたえられている。山をソリで滑り降りるとき,わたしたちはソリを操って斜面の下にたどりつく。このときの経路は,ソリの操り方と丘の特徴によって決まったはずだ。どこにたどりつくかは,あまりにたくさんの要因が絡んでいるために,予想することは難しい。
「でも」とパスカル-レオーネは言う。「斜面を二度目に滑降すると,最初の経路付近を滑ることになっているのに気づきませんか。まったく同じ経路ではないけれど,ほかの経路よりもそれに使いところを滑ったのです。そして,その日の午後,斜面を登っては滑り,登っては滑り,をくり返していたらどうでしょう?何度も通った筋もあれば,あまり通らなかった筋もあるはずです。経路によってばらつきがでるのです……あなたが作った道筋ができていて,そこからはずれるのは難しくなっている。その道筋を決めたのは,もはや遺伝子とは言えないのです。
ノーマン・ドイジ 竹迫仁子(訳) (2008). 脳は奇跡を起こす 講談社インターナショナル Pp.246-247.
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