もしそれが発生すれば莫大な損失を発生するような,絶対起こってはならない現象に対しては,大数の法則や期待値にもとづく管理とは別の考え方が必要である。
例えば,「百万人に及ぶ死者を出すような原子力発電所のメルト・ダウン事故の発生する確率は一年間に百万分の一程度であり,したがって「一年あたり期待死者数」は1であるから,他のいろいろなリスク(自動車事故など)と比べてはるかに小さい」というような議論がさなれることがあるが,それはナンセンスである。
そのような事故がもし起こったら,いわば「おしまい」である。こんなことが起こる確率は小さかったはずだなどといっても,何の慰めにもならない。また,もしそのことが起こらなかったら,何の変化もないので,毎年平均一人はそれで死んだはずだなどというのはまったく架空の話でしかない。このような事故に対して,料率が百万分の1の保険をかける,あるいはその他の対策によって「万一に備える」というのは無意味である。なすべきことはこのような事故が「絶対起こらないようにする」ことであり,そのうえでこのようなことが起こる可能性は無視することである。
このようにいうと,小さい確率であってもまったくゼロではない限り,それを無視するのは正しくない,したがって,巨大事故の確率がゼロであるといいきれない限り,原子力発電所は建設すべきではないという議論が出されるかもしれない。
しかし,個人でも人々の集団でも,あるいは一つの社会,国,さらに人類全体でも,その生存を脅かすような危険性はいろいろ存在するのであって,それらの確率は決してゼロではない。それらが人間の行動によって起こされる場合,あるいは逆に人間の行動によって防止できる場合,その確率をできるだけ小さくするように努力しなければならないことはいうまでもない。しかし,その確率を完全にゼロにすることは不可能であるかもしれない。
竹内 啓 (2010). 偶然とは何か:その積極的意味 岩波書店 pp.201-203
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