カーラ・カプランは1980年代後半,イェール大学のアメリカ文学を専攻する真面目な若い助教授だった。彼女は20代後半だったが,実際の年齢よりも若く見えた。カーラはキルト制作に熱を入れていた。布のパッチワークをしていると,パタンと色との夢のような世界にのめり込み,その創作の世界以外見えなくなってしまうくらいであった。
ある日の夕方,キッチンでクリスタルのボウルを洗っているとき,うっかりと手を滑らせてボウルが落ちた。ボウルをつかもうとしたが,ボウルは流しに落ちて割れて,そのとき,かけらの鋭くとがった角が彼女の手のひらから手首にかけて切り裂いた。血が床一面に吹き出し,ボーイフレンドが急いで包帯をあててから,大学と提携しているイェール・ニューヘブン病院の救急ルームに車で連れて行った。
救急ルームでカーラのボーイフレンドは,当番でいた研修医に,キルトづくりは彼女にとって非常に大切なことなので,彼女が大好きなキルトづくりに必要とされる精細な手の動きをこの傷が損なわないか心配だと念を押して伝えた。医師はこの懸念を理解したようで,すばやく縫合すれば大丈夫だとの確信を述べた。
医師がカーラの手の縫合の準備をしていたとき,近くで作業していた学生ボランティアがカーラに気づいて声を上げた。「カプラン教授!こんなところで何をしているんですか」と。すると,この声によって医師の作業が止まった。「教授?」医師は尋ねた。「あなたはイェール大学の教授なんですか?」たちまち,カーラは搬送台に乗せられて,病院の外科部局に連れて行かれた。コネチカット一優秀な手の外科医が呼ばれて,何時間にもわたる手術で医療チームはカーラの手を完全な状態に復元した。幸い,カーラの手は完全に回復して,タイプを打つこともキルトづくりをすることも,他の何でも以前と同じように精細に動かすことができるようになった。
それほど明らかではないかもしれないが,このカーラの救急処置での「われわれ/彼ら」の差別を見出すことができるだろうか。マーザリンが初めてこの話を聞いたとき以来,これは日常に潜む非意識のバイアスの複雑で象徴的な例として頭にこびりついて離れない。ここにあるのは人を傷つける例ではなくて,人を助ける例であるので,医師が「イェール大学教授」と認識したところから引き起こされた差別行為を見つけにくい。このキーワードが触媒となって,医師と患者とで共有される集団アイデンティティの認識が生じ,キルトづくりの血まみれの手からエリート的治療の資格を備えたイェールの内集団メンバー仲間へと急な転換が生じたのである。
この話を確かめるため,最近カーラに手紙を書いて尋ねた。すると,カーラは次のように詳しく教えてくれた。「突然彼らは,ニューイングランドの有名な手の専門家に救援を求めた。全く180度の方向転換だった。私がキルトをつくる人だということは,私の右の親指の神経を修復することが必要だということについて,彼らには何の意味ももたなかった。だけど,イェールの教員であることが高価で複雑な手術に値することだった」
M.R.バナージ・A.G.グリーンワルド 北村英哉・小林知博(訳) (2015). 心の中のブラインド・スポット:善良な人々に潜む非意識のバイアス 北大路書房 pp.216-218
(Banaji, M. R., & Greenwald, A. G. (2013). Blindspot: Hidden biases of good people. )
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